皆さん、おはようございます。132期副将の亞厂です。
オールを置いてからしばらく経ちますが、現役の頃と変わらず腕の筋トレばかりやってます。ちなみに、ボートを速く進めるために一番必要なのは腕の筋肉です。ワールドクラスのRowerの腕を見れば分かるでしょう。ということで、現役の皆さんはこんな文章読んでないで今すぐアームカールしてください。
そんな冗談はさておき、真面目な話をすると、この4年間は多くの人に支えられてきたと感じます。休日にもかかわらず、欠かさず練習を観に来てくださる監督・コーチの方々、レース前には必ず激励をしてくれる應援指導部の皆さん、日頃から差し入れをくださるOBOGや保護者の方々、艇速に還元しようと多方面で選手を支えてくれているマネージャー陣、いつも僕の活躍を願ってくれている両親と祖父母、一緒にふざけてくれる部員のみんな。おかげさまでここまでやってこれました。皆様には感謝してもしきれません。
その中でも、一番に感謝したいのは、僕と一緒に練習やレースを漕いでくれた人達です。というわけで、僕の4年間を振り返りつつ、その都度お世話になった方々にメッセージを贈りたいと思います。長くなるので、フレンチプレスやプッシュアップでもしながら見てやってください。
『1年目』
塾高の時から仲の良かった朝日や怜史に誘われ、ボートという競技をよく知らないまま入部しました。当時は、自分の成長を実感させてくれるエルゴというものが好きで好きで仕方がありませんでした。6月に7分を切って艇庫入りし、テオトツカにクリスマスオールという最高のシングル生活を送りました。新人戦の時期になると、海知、怜史、萩原、僕といった未経験漕手4人にcox未経験の梅津というよく分からない5人で試合に出ることになりました。未経験者同士でクルーを組み、長期間練習すると何が起こると思いますか?そう、何も起こりません。何も起きないまま、新人戦、お花見とレースをこなし、気づいたら1年目が終了していました。ただ、あの状況でも腐らず、5人で我武者羅に頑張った日々は僕の原点です。
『2年目』
5月に全日本があり、堀江さん、鍛治田さん、勝野、僕といった早慶戦に出れずに悔しい思いをした4人で試合に出ることになりました。練習の調子や雰囲気も良く、結果は社会人もいながら6位。勝つ喜び、そしてレースの楽しさを教えてくれた非常にエチなクルーでした。9月のインカレでは、王田さん、直親さん、浦さん、向井、僕でクルーを組みました。一人だけ下級生でヘタクソだった僕でしたが、非常に優しく指導して頂きました。奥只見での脱衣トランプは一生の思い出です。マンさんと吉田の髪型も最高でした。インカレが終わると、新人戦をエイトで出ることになりました。先輩がいないという不安を感じつつも、優勝を目指して臨んだ結果は5位。エイトの難しさ、自分の未熟さを知った大会でした。
『3年目』
第二エイトで早慶戦に出場予定でしたが、中止になってしまいました。永田さん、三浦さん、浦さん、小幡を中心に良いクルーを作れていたので非常に残念でした。その後、活動自粛となり、漕げない日々が続きました。腕トレに目覚めたり、浦さん、向井、ニキ島と胸筋を鍛え続けたり、勝野、朝日と山梨まで章代さんに会いに行ったりと色々ありましたが、漕げることの幸せを知れた、良い期間でした。9月になると寮生活が再開し、運も良く、目標であった対校エイトのシートを頂きました。対校に乗ってからは、れんたさんに合わせてシャドウロウをしてからエイトに乗艇、練習後には古谷さんからの直接指導というサイクルを1日に2回繰り返す、そんなボート漬けの日々で、非常に刺激的でした。先輩達が引退してからは、トリコネタの通じる人がいなくなり、非常に寂しかったです。
『4年目』
「打倒」という早慶戦をバキバキに意識したスローガンを掲げ、早慶戦に臨みました。毎度毎度的確な指摘をくれる瑛斗、細部に拘ることの大切さを教えてくれた大下、なんだかんだいって一番頑張っている勝野、髪型だけは面白い赤堀、えげつない出力で僕を支えてくれた石田(一年生ながら必死について来てくれた想人)、クルーを上手くまとめる朝日、常に涼しい顔してるけど熱い心を持つ橋本、消灯後も舵のイメージ練習を重ねていた勉強熱心な梅津。そんな8人と練習をした日々は、本当に楽しく、本当に幸せでした。この9人で歴史を作れたことは僕の誇りです。夏になり、今度は日本一に照準を合わせた練習が始まりました。殆どクルーは変わりませんでしたが、早慶戦と同じように良い練習が積めました。この時期は、新井さんに本当にお世話になりました。新井さんの所属する明治安田生命さんと何回も並べさせて頂いたり、実際に乗って頂けたりと、メダルを獲れたのは間違いなく新井さんのおかげです。また、この1年間は副将としてチームを客観的に見てきましたが、腐っている部員が一人もおらず、1年生から4年生まで皆がひたむきに頑張っていて、良いチームになったなぁと思える1年間でした。
こんな形で、4年間、運が良く先輩にも同期にも後輩にも恵まれ、最高な日々を過ごせました。ここには書ききれなかった人もいますが、皆さんと本気でボートに取り組んだ時間は僕にとって大きな財産になっています。マジでみんな大好きです。
後輩たちへ。
僕にも1つ大きな後悔があります。それは、下級生のうちから、自分がこのチームを強くするという自覚を持てていなかったことです。僕が対校エイトに乗ったのは3年の夏、チーム事情もあり、急遽バウサイに転向して3番のシートを得ました。ストサイにはれんたさん、直親さん、朝日、大下がおり、対校は来年からでいいやと思っていた矢先の出来事だったので、嬉しさもありましたが、それ以上にヘタクソなのにもかかわらず、部の代表となってしまったことに不安を覚えました。ヘタクソなりに努力はしましたが、レースを迎えてみれば、結果は全日本準決勝敗退、インカレ8位と最後までクルーの足を引っ張り続けてしまいました。この時の悔しさは一生忘れません。お世話になった先輩方を勝たせられなかった。全く力になれなかった。今まで自覚が足りていなかった。ただ、来シーズンは絶対負けないように強くなろう、そう強く思えたのもこの対校としての苦い経験によるものでした。そんなこんなで自覚が身につき、ラストシーズンは漕手として大きく成長しましたが、もっと下級生の時から自覚があればというのが本音です。
本気で優勝を目指して届かなかった時の悔しさ、部の代表として出場するという責任感、そういったものは出来るだけ早く感じられた方が、この部活での4年間を充実させられると思います。僕の好きな漫画である『アイシールド21』にこんなフレーズがあります。
「どんな凡庸な雄にも、一つだけ許された権利がある。それは、群れのボスに戦いを挑むこと。君はその権利を使って生きても、使わずに生きてもいい。」
要するに、自分の強さを示したいなら恐れず強い奴と戦えということです。幸い、スポーツで負けて失うものは何もないです。なので後輩たちには、自分が慶應端艇部を強くする、そんな強い自覚を持って、負けを恐れず高いレベルに挑み続けてほしいです。そうすれば、必ず結果は付いてきます。早慶戦完全優勝、そして日本一と君達が歴史を変える瞬間を観たいです。頼みました。
追伸
梅津へ
下級生の頃は、減量が出来ず、ストサイバウサイを良く間違え、隅田練で艇をぶつけそうになるなど典型的なダメcoxだと思っていました。中々乗りたい艇に乗れず、辛そうな時期もあったように思います。そんな梅津が、早慶戦という大一番で最高のラダーワークを決めてくれて、漕ぎながらめちゃめちゃ感動しました。個人的な意見だけど、4年間で一番成長した同期だと思います。天晴れ!
勝野へ
1年生の頃から結果を残し続けていて、すげえ奴だなとずっと思っています。いつも純粋に人生を楽しんでいて、その爽やかな笑顔は自分が辛い時に心の支えになりました。最後に一緒のクルーに乗れなかったのは残念でしたが、流石に7分は切ってほしかったな。まあでも、勝野が持つ「良い漕手の雰囲気」というものは後輩達に伝わったと思います。天晴れ!
萩原へ
マネージャーが決まった時、あんなに辛そうな萩原を初めて見ました。その姿を見て、頑張って結果出して萩原を喜ばせたいと決意したこと、今でも覚えています。主務となってからは、マネージャーに何ができるかを常に考えていて、よく僕や朝日に意見を持ちかけてきました。時にだるい時もあったというか常にだるかったですが、お互いの不満をぶつけ合ったことは今では良い思い出です。最後の最後で角刈りにしなかったことは本当に許せないけど、2年間、見えてる所でも、見えない所でも支えてくれてありがとう。天晴れ!
朝日へ
朝日とは、親友であり、相棒であり、仲間であり、ヒーローとサイドキックであり、主将と副将であり…よく分からん間柄で、いつも半径1メートル以内にいました。朝日は一足も二足も先に対校エイトに乗ってしまったので、下級生の頃は、朝日と一緒に対校で出たいと思って頑張っていました。去年のインカレから、1年間一緒に対校で出れてめちゃめちゃ嬉しかったです。一緒に幹部となってからは、橋本にシングルT.T.で負けていた時や、エルゴや周走の測定がある度に下位にいるのを見て、「こいつ本当に主将?」と思うこともありました。ただ、エイトに乗れば頼もしい漕ぎをするし、乗艇後に堂々とクルミで話す姿を見て「やっぱこいつ主将だわ」と思っていました。冗談抜きでマジでかっけえよお前。天晴れ!
ここまで読んでくれた貴方には、キューブを差し上げます。
青木さんリスペクトなので長めに書かせて頂きました。長文失礼致しました。
亞厂拓海
明日のラストライフは主将の朝日捷太です。お楽しみに!
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