決定論

こんにちは。

法学部政治学科2年の植木康平です。

実はこの挨拶、3回目です。
何度も何度も書いては消して、完成して読み直して、やっぱり消して…と繰り返してきました。
正直、今迄ライフを読んだことがなく、今バックナンバーにある引退ライフは読みましたが、内容も熱量も違いすぎて、こういう日常のライフでどんなことを書けばいいのかわからないのです。
でも、それだけ悩むほど、本気で臨んでいるということをご理解いただければと思います。
(言葉だけじゃなくて態度で示せよというツッコミが来そうですね…)

ここでは誰にでも身近なお話として「決定論」についてお話したいと思います。

新型コロナは社会のありとあらゆるところまで影響していて、部活も例外ではなく、練習できないという苦境に立たされました。
ここでは決定論を通じて、仕方ないことは仕方ないと割り切る気持ちを持っていただければと思います。

さて、突然ですが皆さんは運命を信じますか。
「運命」という言い方では皆さんは信じないかもしれません。

それでは皆さんは未来を変えられると思いますか。
多くの人は「それはそうだろ」と思うかも知れません。

例えばりんごを持っている手を開くとりんごはどうなるでしょうか。
するとりんごは自由落下します。これは分かり切っていますよね。

ではボールを投げるときはどうでしょうか。
手を話した瞬間、機械が精密に飛距離を計算できるように、ボールがどこまで飛ぶのかは決まっています。

では動物の行動ならどうでしょうか。
例えばダンゴムシは障害物を避けるため右に曲がったら次は必ず左に曲がるという習性を持っています。他にも、光に向かう習性や重力に逆らって草の茎を登る習性を持っている昆虫がごまんといます。
彼らの行為は「決まっている」と言えます。

犬や猫ならどうでしょうか。
彼らの行動も実は単純であると思います。しかし、この辺から本当にそうか?と疑いたくなる人も出てくると思います。

そこで、「決まっていない」ということを「自由意思がある」という言葉に置き換えて考えてみようと思います。

つまり犬や猫に自由意思があるか、ということですね。

これは「ある」自信を持って答えるのは中々難しいのではないでしょうか。

自由意志が無くとも、まるであるかのように振舞うことは十分に考えられます。
例えばロボットがそうです。「ヘイ、シリ!今日の天気は?」と聞いて「今日は晴れるでしょう」というのは、まるで日本語の意味を理解していて、考えて答えてくれているかのようですが、当然違います。

他にもおもしろい思考実験で、「中国語の部屋」というものがあります。
単純に言えば中国語を全く知らない外国人が小さな部屋に押し込まれ、小さな窓から中国語で書かれた質問文が入れられます。
外国人は手元にある分厚い特殊な辞書で質問文に対応する回答文を見つけて、書き写し、窓から返します。
このとき、外国人は中国語など全くわからず、ただ質問文と全く同じ記号(漢字)が並んでいる文を辞書から見つけ出し、その下に書いてある記号の羅列を書き写しているだけです。
一方で部屋の外側から見れば、中には中国語に長けている人がいて、質問を返してくれているように見えます。

つまり、自由意志はなくてもあるように見えてしまうのです。

それでは人間はどうなんでしょう。

脳科学では面白い実験があります。
それはリベットの実験と呼ばれ、簡単に言えば以下の通りです。
人間は指を動かす時、指を動かそうと意識し始めてから実際に指が動くまで0.2秒程度かかりますが、動かそうと意識するさらに前に、無意識の運動準備電位なるものが生じています。
その電位が発生してから約0.35秒後に動かそうと意識し始めることが明らかになりました。

つまり、人間には自由意志がないということが科学的な手法で証明されたのです。

では、この私の体を意のままに操っている感覚は何なのでしょうか。

それを説明する理論に「意識受動仮説」というものがあります。
簡単に言えば、人間は無意識に行動を選択していて、それらの取った行動に因果関係や一連の流れを持たせるために脳がストーリーを作り上げている、というものです。
これは右脳と左脳の違いによるもので、実験も行われ、科学的に明らかになっている部分もあるのですが、流石に長くなりすぎなので割愛します。

ごめんなさい、ここまで読んでくださった方は神様です。
自分でもオタク特有の早口で長々語りすぎたと反省しています。

最後に総括として、
動物の行動は自然法則、物理法則と同じで「決まっている」、人間も実は他の動物と本当は大差ない。
しかし、その複雑すぎる脳の構造と働きによって、行動に意味や主体性を持たせているために、まるで自由意思があるかのように感じている、
という決定論をご紹介しました。
(実は決定論と自由意志の両立諭も存在し、全体的にあまりにも暴力的なまとめ方をしてしまったので、興味がある方は是非そちらもお調べくださいませ。)

これら自由意志のない人間の集団である社会、延いては世界もまた、決定論的に進んでいると考えれば、コロナ禍や人生の理不尽も割り切れるのかなと思います。

皆さんがこの話を受けて、倫理観が崩壊し、怠惰にならないことを切に願っています。

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