「平日の練習が早く終わる」「土日の練習場所の戸田が自宅から近い」「走るトレーニングが心底嫌い」こんな適当な理由から始めたボートと7年間も関わることになるとは、
引退する頃には全日本級の大会を回し、取り纏める一員になっているとは、
高校入りたての村川は思いもしていなかったでしょう。
こんにちは。
慶應義塾體育會端艇部副務、関東漕艇学生連盟副理事長の村川です。文字に起こすと硬派で良い肩書で気に入っています。
DjLiciousのエモいチルハウスを聞きながら書いていますが中々に感傷的な気分です。
↑これです。読まなくてもいいので聴いてください。
ありきたりですが
7年間、長いようで短いようで、思えばあっという間でした。
「ラントレは然程重要じゃない」そう聞いて入部届を出した最初の週末、「高校生全員連帯責任」と大学生から荒川走を命じられ1日中走らされたこと、
体制が変わり、毎週末のように行くようになった相模湖合宿、真冬の相模湖に沈して危うく死にかけたこと、
炎天下の中飲み食い無しで延々と幼稚舎生の補助コックスをさせられた挙句、水鉄砲を食らってブチギレたこと、
徹夜で藻刈の準備作業を行い、早朝の藻刈作業中にモーターボートの上で熱中症になり病院に運ばれたこと、
130期最後の月曜オフ、同期が皆で海に行く中学連業務の為夕方ようやく帰寮し艇庫で一人突っ伏して寝ていたこと、
思い返すとツラかった経験がより濃く鮮明に浮かんできます。。。
特に後半2年間、自己紹介の肩書を得てからは失ったものも得たものも多い、濃い2年間でした。特に単位を失い過ぎた気がします。
それでも腐らずにやってこれたのは同期や先輩後輩、学連のみんなのおかげです。
なんてクサいことは全く言うつもりもないしぶっちゃけ感じてもいません。
極論自分が仕事放棄してたらインカレもクソもないわけですからね。学連MGR最強!!
こうやって振り返ってみると、唯々エグいし憎たらしい競技だし、尚且つ不条理だらけでムカつく組織な慶應端艇部ですが、そんなボート部での生活も悪くはなかったんじゃないかなと思っている自分もいます。悔しいですが。
極論自分以外の部員がいなかったら大会運営もクソもないわけですからね。
自分語りが過ぎたので何か為になるような、4年間で得た考えを。
試合で結果を残したり、尊敬を集めたりする選手は
視野が広く、ものごとを俯瞰で捉えられる人です。
川練後にマネージャーに一言、「ありがとう」と一言掛けつつ河川敷を登っていける漕手は総じて他の部員からの信頼に厚く、そして強いです。
学連員の中でも、作業や藻刈によく参加し、戸田での大会運営に貢献している諸大学のcoxの出るレースは伴チャも多いし声援もデカいです。
例を挙げればキリがないですが、他の部員より色んな角度からボートと関わり、ボートを見てきたのは事実なので、多分これは間違いないです。
ここまで読んでくれている物好きな後輩がいたとしたら、このことをちょっと意識してボート生活を送ってみるといいと思います。何も四方八方に感謝して愛想よく振る舞えというわけではなく、抽象的だけど「視野を広く」。
自分もこれを多少意識するようになって、例えば戸田の藻が絶滅危惧種の植物だということを知りました。別の側面から捉えるのはやはり大事です。それでも藻は滅びてくれて結構ですが。
冗談は置いておいて、これはエルゴのタイムや漕ぎの上達に直結する訳じゃないです。が、最低でも、ラストライフを書くのに事欠かなくなる程度のメリットは保証します。
強いてもう一つあげるとするなら、ウェイトやエルゴには、歌うには難しい音楽で且つテンションの上がる曲が最適です。慶應艇庫ダンスミュージックシーンが衰退しつつあるのが残念でならないです。
我ながら硬派で良い(?)ラストライフですね。
何かまだ書き足したいですが気分が素に戻って文章を消しかねないのでこのままアップします。
した👏
村川
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