ご紹介に預かりました、129期女子部主将の萩原沙柚子と申します。
2回目にして人生最後のライフになります。
のんびり屋さんな同期が多いのでしょうか。この期に及んでも、相変わらずのスローペースな更新頻度だったので、私はてっきりこのままラストライフを投稿せずして引退するのではないかと、内心ほっとしていました。気を揉んでおりました。
それにしても、同期の皆はそれぞれ“その人らしさ”がぷんぷん溢れる素敵なラストライフを書いていますね。私も例に漏れず、思いの丈を徒然なるままに書いてみようと思います。駄文にお付き合いして下さると嬉しいです。
私は、皆さんに「有難う。」と「御免なさい。」、この2つの気持ちをお伝えしたいです。
大学1年生の春、右も左も分からないばぶちゃんだった私は、どういう訳だか分かりませんが、当時自分に足りないものは、筋肉とガッツだと信じ切っていました。ボートとも埼玉県とも、そもそも運動すら縁のない生活を送ってきました。しかしながら、“兎に角、強靭な身体が欲しい”と考え、無鉄砲にも最もマッチョの多そうなボート部の門を叩きました。
当時の先輩には、「大学のボート部っていうのはね、中高の運動部を2回りくらい本気にさせた様なところだヨ♪、ま、そう気負わずに、未経験でも何の問題もないよ。」と勧誘されました。
…大嘘じゃん!!、すぐに弱気になりました。正直なところ、まだぴよぴよすらしていない若かりし頃、日本一になることや早慶戦で早稲田を倒すこと、どちらも全くピンと来ませんでした。
転機は2年生の早慶戦です。雲のまたその上の存在であった早稲田が、レースでは意外と近くにいた。並んだ。バウだったからか、余計にそう思えたのかもしれないですが、この紛れもない事実が自分にとって大きな励みになりました。
3年の早慶戦では、早稲田の背中を捉えました。「あ、勝てそう。」、奇跡を掴みかけた瞬間でした。そして、「勝てそうだった去年よりも更に速い艇速」で挑んだ4年の早慶戦では、一瞬並んだもののあっけなく離されました。
主将という大役を頂き、クルーリーダーも任せて貰えたのに、クルー勝利に導くことが出来ませんでした。御免なさい。
思えば4年間、ボートを心の底から楽しむことなんて出来ませんでした。休む暇もなく毎日2回と続く厳しい練習は、まるで踊り場のない階段を強制的に昇らされている様に感じたことが多かったです。
頭の中が常にボートのことで100%を占めて、ボートに追われるのではなく、ボートを追いかけるような情熱を持って毎日を過ごせたのかと言われれば、正直なところ答えは否です。私は、きつい練習を“我慢する”ことは出来たのかもしれませんが、子供が遊びに熱中するように、寝食を忘れ没頭して楽しむことは本当に難しかったです。そう振り返ると、やはり申し訳ない様な、遣る瀬無い気持ちになります。
そして同時に、人間、自分の気持ちが高まることに最大の力を投入することが出来ることは、さぞ幸せなことなのだろうなとも思います。それがボートであっても、将来後輩の皆さんがよほどの不労所得をお持ちでない限り、やがて就くであろう何かしらの職業であっても、その道“一筋”になれることは最大の幸福だとも考えたりします。
何だか、冗長な話になってしまいましたね。
少し酷に聞こえるかもしれませんが最近、「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだな、とひしひしと感じます。幼少期の生まれ持った性格は大人になっても変わることはない、という意味です。ボート部に入って、まるでライザ〇プの広告に載るような変貌を遂げたり、エルゴのベストが更新されたり、そういったフィジカル的な変化は大いにあります。けれども、やはり本質的な性格というのはなっかなか変えられない、己を捨てることは非常に難しい。
慶應端艇部は、他大に比べて人数が多いのはさることながら、女子も男子も未経験が多く多様なバックグラウンドを持っています。これは日本一を目指す組織としてどうなのだろう、ずっと考えていました。他大の様に、最初から選りすぐりの経験者を集めて少数精鋭の組織のほうがよほど手っ取り早い。そして、私の持論ですが、人は簡単には変わらない、変われない。様々なカラーを持つ三つ子の魂達が集うこの慶應端艇部、果たして何が強みなのでしょうか。
私がヒントを得たのは、全国に現存している、日本のお城です。正確に言えば、その土台となる石垣です。中世に建てられて、およそ数百年が経つ今も、地震や自然災害に屈せず今もなお悠然とそびえ立っています。日本の石垣が、世界でも指折りの頑丈さを誇る秘密。それは、当時の職人さんが“大小さまざまな大きさの形や石”をせっせとみつけてきて、見事に隙間なく敷き詰めているからです。
これ、ちょっと慶應ボート部っぽくないですか?…飛躍しすぎですかね。
ずば抜けたフィジカルを持つ人、いつもクルーの元気印となる人、逆も然り。様々な個性が光る部員ら全員を共に抱えて、この慶應端艇部は129年と長い歴史を脈々と紡いでいるのです。
だから、どんなに自分に絶望しても、変わりたいのに、変われないって嘆いたとしても、自己嫌悪に陥っても意外と“どうにかなる”んです。自分がおいそれとどうこうしなくても、時間が解決に導いてくれることも、それこそこのカラフルな組織が、この環境が救ってくれることがあります。つまり誰ひとりとして欠けてはいけない、大切な礎なのです。
そろそろ締めに入ります。端艇部での4年間、多くの学びを得ました。この環境を与えてくれた、全ての皆様に感謝の想いでいっぱいです。
“ボート部に入りたい”こんな突拍子もないわがままに4年間付き合ってくれた両親、土日返上でご指導くださった監督やコーチ陣、共に切磋琢磨し合った同期、時に大きな道標となり厳しく温かく導いて下さった先輩方、本当に有難う御座いました。
そして、特に女子部の後輩に言いたいです。数ある選択肢の中から、慶應女子ボート部に入部してくれて本当に有難う。長く苦楽を共にしてきた3年生、残り1年頑張ってください、心の底から応援しています。練習熱心で頼もしい2年生、その向上心の高さに沢山の刺激を貰っていました。いつも明るく可愛い1年生、気恥ずかしいので直接は言えないけれど、ひたむきに練習に励む姿に日々感銘を受けていました。未来の慶応女子部にとって、とてつもない大きな戦力になってくれると信じています。有難う。ずっとずっとずっと、見守り続けたいです。お世話になりました、皆さん本当に有難う御座いました。
それでは、長文・乱文失礼致しました。お付き合い頂き有難う御座います。
何とか引退するまでに(後10時間くらいですかね…)、ラストライフを回したいものです。次は、副将のふじけん、宜しく。