こんにちは、有馬です。入部当時に数々の粗相をやらかしてきた浅倉君が、今は艇庫の料理長として部員の尊敬を集めているとは誰が想像できたでしょうか。彼のハートウォーミングなライフに涙が止まりません。
さて、「ラストライフ何書こうかなぁ」というくだりは浅倉君がやってくれたので、ありきたりですが自分の4年間を振り返ってみました。長い上に面白くもない、ただの決意表明みたいになってしまいましたが御容赦下さい。
まず、私がこの部に初めて来たのは、何を血迷ったか、高校3年生の12月でした。128期の中では、内部ボート部以外で2番目に早く艇庫に来ていたことになります。
当時、今より”少しだけ”ふっくらしていた若かりし頃の高田君(現副将)にエルゴを教えてもらったり、エイトに試乗したり。
思ったより地味なスポーツでしたが、シンプルに動くことがこんなにも難しいことなのかと、球技とはまた違う魅力に惹かれ入部を決めたのを覚えています。
入部してからは日吉の陸トレで毎日クロカン3周をし、自分が何部なのかよく分からなくなり、1年の冬はスカルで午前も午後も24km、挙げ句の果てに怪我人入り。オフは我れ先にと艇庫から逃げ出すなど、1年目はただひたすら地獄でした。
転機となったのは早慶戦合宿明け。エルゴとスカルが伸び始め、運が良いことにインカレと全日本に出場するチャンスを頂けました。
高校の野球部ではチームの代表として試合に出るという経験が全く出来なかった私にとって、ずっと待ち望んでいた素晴らしい機会を得ることが出来た、それだけでもこの部を選んで良かったと思えるようになりました。
しかしながら、人間の欲望というものはとどまることを知りません。今度は、結果を求めるようになります。
同期が新人戦や早慶戦、インカレ全日本などで結果を残していく中、私は現在も満足のいく結果は得られていません。
高校時代、野球部のコーチに「野球部は9割が辛く苦しい、それでも残り1割の楽しさがあるから頑張れるんだ」という話をされました。
でもボート部では「9割9分」が辛く苦しかった。だからこそ、10月末の全日本で残りの「1分」を満足いくものにしたい。素直にそう思っています。
そして、今まで結果の出なかった私を応援してくれた家族の為にも、全てを出し切ります。
長文乱文、失礼致しました。
次は伊澤くん(のはず)です。