慶應端艇部万歳!!!!

ちは!4年の麓政人です。ラストライフとなる訳ですが、僕自身初めてライフを書かせていただきます。

さて、志木高から始まったボート人生も、いつの間にか気がついたら大学4年の最後の試合を目の前に控えています。高1から数えて7年間、本当にあっという間でした。

志木高入学時、部活説明会で僕は一切他の部活の見学に行かず端艇部の所に行きました。球技はあまり得意ではなく、体がぶつかり合うスポーツも嫌でした。その結果、ほとんど消去法で僕は端艇部、とずっと心に決めていたのです。
今思えばこのなんとなくの決断が全ての始まりでした。

高1は内田先輩、塚越先輩、仲野先輩にクォドで必死について行く毎日。エルゴもきつくてしょっちゅうゲロを吐いてました。幸運なことに、天竜、インハイも先輩方に連れて行ってもらいました。代替わりしてからはなかなか結果を出せずに本当に消えたくなる日々。そして高3はやっと、今やjapanの新井君の力もあり最後にインハイ行きを決めました。脳みそ溶けるくらい嬉しかったです。

大学では最初は医学部端艇部に入り、沢山の試合に出させていただきました。多くの先輩、同期にも恵まれました。今でも早稲田理工に早慶戦で勝ったときの感動は忘れません。

それでもどうしても、僕はもう一度志木高端艇部の仲間と漕ぐことを諦めきれませんでした。そして2年の冬に全塾の方に移らせていただきました。こんな身勝手な自分を許してくださった両部の皆様には感謝の念しかありません。

色んな人に迷惑をかけ、支えられ、守られてきた7年間でした。

しかしそれと同時に最高にきつい7年間でもありました。

自分ののやりたいこと全部やらせてもらってこんなこと言うのも間違ってると思うのですが、やっぱりきつかったです。

朝5時に起きるの当たり前、1日2部練が基本、雨でも雪でも乗艇、エルゴはえぐい、勉強する暇ない、例を挙げればキリがありません。ボートを始めた頃は本当に文字通り死ぬかと思う日々でした。

しかし不思議なもので、気がつけばボートは僕の生活の一部として無くてはならないものになりました。高1の頃は家に帰ってそのまま玄関で寝て、二度と明日は練習するもんかと思っていたボートが、今や毎日の中心です。

なんでこんなにもきついことを7年間やってこれたのか、自分でも驚きです。

オフが少なすぎて辞めたいと思う前にもう次の練習が始まってたから。一般大学生よりもえぐってる自分に変なプライドを感じてたから。色々理由はあります。

でもそれだけてはなかったです。

高校で引退して一度置いたオールを再び大学でも握りたいと思った理由、そして4年間勉強も大変だったけどボートを諦めきれなかった理由、それがなんだったのか。

ボート人生の終わりが見えてきた今、ようやくその答えが分かってきた気がします。

僕はきっと、ボート部でしか得られない、”仲間”を求めていました。

ボートが他のスポーツと絶対的に違う点、ボートをボートたらしめる所以、それはクルーの存在です。

今僕はエイトに乗らせていただいてますが、僕は他の8人のことを本当に兄弟のように思っています。気が合うから一緒にいるような単なる仲良しじゃありません。
苦しみ、悲しみ、喜び、全てを共有してきた、水上でしか得られない仲間です。

今年は早慶戦の敗北に始まり、インカレまで惨めな思いをすることが多かったです。結果が全ての體育會で甘いことは言えません。

それでも僕は誰に何と言われようと、今まで一緒に漕いできたクルーが大好きです。

真っ赤な夕焼けの下漕いだ河練も、冬の暗くて寒いでっぱんも、灼熱地獄の夏の練習も、そこには必ずクルーの皆がいました。

そして死にそうになりながらもコックスのコールに8人でまとまって艇速を上げるとき、お互い励ましてあって全員でえぐさを乗り越えるとき。
僕はクルーで共有するそういう血が燃えるような熱い瞬間がたまらなく好きでした。

ボートは楽しい競技ではありません。その代わりに、9人で飛び込む、最高にきつくて、苦しくて、でもめちゃくちゃ熱い世界がいつの間にか僕の居場所になっていました。

これは一緒のクルーじゃなかった皆にも同じです。

いくらでも快楽を追い求められる21世紀において、わざわざ體育會という選択をして、合宿生活の端艇部に入った人に悪い人がいるはずがありません。
そんな人たちと同じ空間で暮らして、同じ風呂入って、同じ釜の飯を食う。決して暮らしやすい環境ではないけど皆んなそれぞれ工夫して暮らしてる。そして必ず誰かがどっかでくだらなくて下品なことして皆んなで大声で笑って過ごす日々。

スマートじゃないけど泥臭く生きる、人間味あふれる皆との生活が本当に好きでした。

水の上も、陸の上も本当に僕は周りの人に恵まれました。感謝してもしきれません。

監督、コーチ陣の方々。休日返上で我々学生のために戸田に来てくださり、本当にありがとうございました。途中入部で人間的にも、漕手としても未熟だった僕を受け入れてくださったことは本当に感謝の念しかありません。最後まで皆様の元で漕げて、僕は本当に幸せでした。

志木高コーチ陣の方々。僕は志木高端艇部が本当に心の底から大好きです。志木高で過ごした日々があったからこそ、大学も最後まで続けられました。志木高端艇部は死ぬまで僕の原点であり続けます。本当にありがとうございました。

医学部の皆さん、本当にたくさんのご迷惑をおかけしました。それでも信濃町や戸田で、1人の後輩、同期、先輩として接してくださり、凄く嬉しかったです。勉学と部活の両立を目指す皆さんの姿は本当に心の支えでした。ありがとうございました。

先輩方。ずっと憧れていた皆さんと同じ艇、同じ部活で漕げたことは一生の誇りです。途中入部にもかかわらず、たくさんのことを教えていただき、そしてかわいがってくださったことが何より嬉しかったです。これから先も、ずっとずっと、先輩、と呼ばさせてください。

同期の皆、途中入部なのに僕を迎え入れてくれたことがマジで嬉しかった。129期の一員になれたことは僕の人生で起きたことの中で、間違いなく1番幸運なことだった。こんなにも愉快で、楽しくて、熱い皆んなに出会えて良かった。皆んなへの恩は一生忘れない。本当に、本当に、ありがとう。これからもよろしく!

後輩の皆。皆との何気ない日々のやりとりが凄く楽しかった。どんなに辛い時も、皆と一緒にいると必ず笑顔になれた。皆はいかなるときもユーモアを忘れなかった。さんざん、ど○○いだとか、ゲ○とかいじられたけど、それも良い思い出だ。
皆にこんな偉そうなことを言うのははばかられるけど、これだけは言わせてほしい。これから先、どんなに苦しい時も、必死な時も、みんなが持つそうしたユーモア精神を絶対に無くさないでほしい。もちろん、練習は死ぬ気でやるべきだし、妥協はしちゃダメだ。楽をした方がよいということじゃない。
でも困難に直面した時に、感情に支配されてほしくない。感情に支配され途端、人は盲目になってしまうから。腹立つことも、泣きたいことも、苦しいこともあると思う。勉強とか就活との両立で悩むこともあると思う。でもそんなときは冗談を言い合うくらいの、余裕ある態度を忘れないでほしい。
余裕ある態度は必ず心の余裕につながる。そして心の余裕はきっと、自分の中で新しい道を見つけてくれるから。

もう一つ、皆んなに言いたいことがある。それはクルーを信頼してほしい。ボートは信頼のスポーツだ。クルーに対して不信感を抱いた途端、全てが崩壊する。もちろん、仲良しごっこをしろということではない。皆んなで厳しく意見言い合うべきだし、生ぬるい空気でやるべきじゃない。それでも、相手を尊重し、信頼する心は絶対に無くしちゃいけない。
ボートは本当に不思議なスポーツだ。前のやつらは背中しか見えないし、ましてや後ろに座るやつなんて視界にも入らない。だからこそ、クルーに全幅の信頼を寄せて彼らにそれぞれのオール託すこと、そこにボートの面白さ、価値があると僕は信じてる。

喧嘩することも、なかなか馬が合わないやつも出てくるだろう。でも、いがみ合うことが目的になっちゃダメだ、あくまでも艇を速くすることが目的なんだということを忘れちゃいけない。
まずは自分がクルーを信じ、そして自分も相手の信頼を勝ち取ることを忘れないでほしい。

最後に、対校のみんな。

三輪、新井、宮嵜、本多。高校の頃、一緒に対校エイトかっけえーってよく話したな。俺はその頃から志木高端艇部で大学の対校に乗るのが夢だった。それが今や7番とストサイ全員志木高端艇部。これに胸が熱くならない訳がないよ。ほんと、6年間色々と世話になった。あと少しだけよろしく頼む。
中居、栗野、ゴリ、ふじけん。大学に入ってこんなにも熱く、信頼できる仲間ができるなんて思ってもいなかった。なぜだか皆のことは、大学よりももっと昔から知ってるような気がしてならない。皆んなに出会えて、そして同じクルーになれて本当によかった。最後の全日本、同じエイトになったのも、なんかの運命だ。よろしく!
僕が7年間ボートを続けてきた理由の全てがこのエイトには詰まってる。最後の最後まで、最高に熱く、皆んなで灰になるまで燃え尽きよう。

ここに挙げただけではなく、本当に多くの人にお世話になった7年間でした。全ての人に直接お礼を言いたい気持ちでいっぱいです。

ボートはスポーツの一言で片付けるにはあまりにも奥が深くて、難しくて、熱いものです。
そのボートは僕の人生であり、青春そのものでした。

そして永遠に続くものだと勝手に思っていたそんな日々ももうおしまいです。

明日からの全日本が終わったらどんな気持ちになるのか、想像もつきません。清々しい気持ちになるのか、それとも名残惜しい気持ちになるのか。

でも、今はただ、この仲間と最高のレースをして、熱く、熱く、燃え尽きたい。それが今の願いです。

僕が求めるもの、欲しいものの全てが水上にはありました。體育會端艇部に入って良かった。本当に、心の底から、ありがとうございました。

そして何よりも、これからもどうぞ、體育會端艇部をよろしくお願いします。

次は誰かな、ひらか南雲かな。。。。