スポーツマン失格

 

 

 

 

ラストライフを愉しみにしている皆さん。お待たせいたしました、

スプラトゥーン大好き、磯貝悠です。

 

ライフなんて書いたことあったっけ?と思い自分のライフを遡ってみたところ、
前回書いたライフは1年生の時の“はじめましてライフ“でした。2回目のライフです。

 

先輩方のラストライフって、

「色々あったけど、よかった!家族監督コーチありがとう!後輩がんばれ!」

ってイメージを勝手に抱いていて、僕もその例に漏れず色々偉そうなこと書いて感謝を述べることになるのかなって下級生の頃は思ってました。

 

あれ?おかしいぞ?そんなにまとまった綺麗なこと書けねえし、感謝を正直に伝えられない。というのが正直な僕の現状です。
僕は強い選手でも強いメンタルの持ち主でもありません。最後の数ヶ月は多くの部員に迷惑をかけました。監督コーチにはとてもお世話になっているにも関わらず、これでもかというほど恨みと不満があります。
最後の最後まで、子供じみたところは変わらずじまいでした。。

 


 

長ったらしい前置きになりましたが、せっかくのラストライフ、思った通りのことを自由に長々と書かせていただこうと思います。

 

ラストライフでは僕が4年間悩み続けて最近やっと少しわかった気になっている、

『ボートとは、スポーツとは何か』

について。
自分なりの解釈を文章にしてみようと思います。

 

上の問題は正直ボートをする上で考えなくてもいい些細な事です。
ですがこの些細なことを意識せずに練習できる人はとても強い選手だと思うんですよね。
まず4年間を少し振り返ろうと思います。
1年生、僕は他の皆と同じように情熱をもってボート部に入部しました。
高校生の時のようにただただひたむきに練習に取り組むつもりで入りました。
同期の誰よりも本気で練習に取り組んだつもりですし、目の前のボートに夢中でした。

初めこそ練習した分だけ記録も伸び絶好調でしたが、実力主義、弱肉強食の世界で2年3年と続けるうちにエルゴ記録は伸び悩み始め、
運の悪いことに怪我もしました。メンタルが強ければまだいいものの、、
尻すぼみとしか言いようのない非常にカッコ悪いフェードアウトの仕方をしてしまいました。

結局徐々にですが何を目的に練習をしているのか、何のためにストイックに体を追い込んでいるのか分からなくなりました。
着々と精神が蝕まれていく感覚です。不満が無駄に溜まります。

もちろん練習自体は頑張っていましたが、前ほどキツい練習に踏ん張りが効きません。結果も出ません。
どんどん焦り、余計結果が出ないという悪循環でもありました。

そんな悩める時期に僕はさらなる深みにハマります。

 

”更なる深み”の始まりは”全体ミーティング“でした。
ボート部員は4年間を通して何度も監督コーチと選手による全体ミーティング(全ミ)に参加します。
ここでは監督コーチが練習や日々の生活に欠かせない心構えなどを教えてくれます。
大半の選手は何を話していたかミーティング終了とともに忘れます。
この全ミの中で唯一、僕の中でずっとひっかり膨らんでいく疑問がありました。

それは以下の通りです。

慶應端艇部の有識者、H田さんはおっしゃいます。

「早慶戦は戦争だ。」

ごもっともな意見です。體育會端艇部にいるからには生半可な気持ちではダメでしょう。

他方、O澤さんはおっしゃいます。

「まあ、楽しんでナンボだね。」

 

 

ここでふと思います。
あれちょっと待てよ?と。
戦争?楽しむ?矛盾してないか?

戦争 ≠ 楽しい
ここで僕はジレンマに陥ります。考えれば考えるほど論理の罠に嵌ります。迷宮とはまさにこの事。
僕にはどうもこの「戦争」と「楽しむ」という2つの要素が相反する考え方でありイコールで結ぶことができませんでした。
「命をかけて勝ちをもぎ取る!」「ボートまぢキモちぃい、楽しぃ!」という要素がどうも自分の中でスッとは結びつきません。

こんなことで悩む人って僕だけですかね?
ただ当時の僕にはどうしてもどちらかを選ばなくてはいけない気がしました。
どちらに重点を置けばいいのかですごく悩むことになりました。

というのも、4年になるまでは死ぬ気で練習をして、楽しいということをあまり考えたことがありませんでした。
それまでは、もはや仕事だ、修行だぐらいの気持ちで何の疑問も持たずに練習をしていました。現主将がボート大好きです!とか言っている時も何言ってんだとか思ってました。

結果が順調に出ていればその考え方でもよかったのかもしれません。

が、
練習が辛くなるにつれ、楽しくない。という感情が先に働くようになってしまいました。なんだかんだボートを楽しんでいたのだと思います。

 

ですが、それまでスポーツを修行のように”こなす”ことしか意識してこなかったわけですね。
楽しむだけの勝ちを目指さない體育會生に居場所はないとも強く感じていました。

 

生半可な奴にこのままボートをスポーツを続ける資格はあるのか。
スポーツ選手としてこんなことを思う時点で失格なのではないか。

 

悩んでいるうちに時間だけが刻一刻と過ぎ去りました。

 


 

ほんと、よくここまで長い文章を読んでいるなと感心します。大半の人がたぶん既にブラウザごと閉じている中、ここまで読んでくれた人ひとりひとりにお礼して回りたい気分です。ここからはもっとポジティブな話をしようと思います。

ボート部にいる意味、スポーツを続ける意味を見出せないという悩みでしたが、これは意外なものを糸口に解決に向かいました。

 

 

 

。。。。。

 

 

。。。

 

 

 

勘のいい人なら気づいたかと思います。。。

 

 

 

 

 

 

 

ズバリこれですね。

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そう!スプラトゥーン!

あの”世界の任天堂“が開発した渾身の一作です!!
もちろんゲーム大国「にっぽん」ですから、存在を知らない人はいないと思います。
全国民周知のこととは思いますが、念のために説明をすると、

 

スプラトゥーンとは、

「ネット上で、4対4のチーム戦で、水鉄砲をもったイカのキャラクターを操作してインクを撃ち合うシューティングゲーム」

です。
FPSの類、荒野行動の類と言った方が通じますかね?

今まで特に熱烈にテレビゲームをしたこともなかった僕が、何を思い立ったか散財してニンテンドースイッチを買い、
たまたま手に取ったソフトがスプラトゥーンでした。本当に偶然出会いました。運命感じますね。

もうその後はスプラトゥーンにどっぷりと浸かる毎日です。オフの日は全てをスプラトゥーンに捧げています。
世界の屈強なイカたちに対抗すべく、僕のイカちゃんは日夜鍛錬を重ねています。
まさかハマりすぎて院試に落ちたとは口が裂けても言えません。

余談ですが、あの世界のテニスプレイヤー錦織圭選手はスプラトゥーンの大ファンで練習のない日はひたすらいかちゃんを鍛えているとかいないとか?、、、信じるか信じn、、
これだけでスプラトゥーンの評価が上がったでしょう?

 

結局スプラトゥーンの話かい!!!!!

とみんなのツッコミが想像できますが、ここからは真面目な話です。

 

このスプラトゥーンを通してスポーツとは何かを読み解いていきたいと思います。
このスプラトゥーンというゲーム、今ニュースでも取り上げられて巷でも話題の「eスポーツ」というジャンルに属するゲームです。
eスポーツとはつまり電子ゲームに競技性を持たせたものです。

それまでeスポーツと聞いても「スポーツ?ゲームしてるだけじゃん。なんのこっちゃ?」状態だった僕が初めて触れたeスポーツでした。やっぱりゲームだから楽しい!という感想とともになぜかスポーツという表現が腑に落ちる驚きがありました。
これはボートと比較する事ですぐ答えが出ました。
ボートを含む「スポーツ」とスプラトゥーンという「eスポーツ」を比べれば共通項に残るのはスポーツに不可欠な要素だと思ったからです。

 

共通している点は2つでした。

 

1.  楽しめる要素がある

2.  人と競い合う要素がある

 

はい当たり前のことですね。

意外にも、身体運動という要素はなくてもいいことに気づきました。
というのも、

身体を動かすことがスポーツであるなら、引っ越し業務もスポーツになっていないとおかしい。
コンビニの中を走って汗をかいたらスポーツにならないとおかしい。
eスポーツに欠かせない動体視力や瞬発力が身体運動なら、両方の能力を要求されるパイロットはスポーツでなくてはおかしい。

身体運動には楽しいという要素が付随しないとスポーツにはなりえない。
楽しむという要素があるからこそスポーツになるのだと気づきました。

 

でも、楽しむだけなら渋谷のクラブでもなんでもいいですし、カラオケにでも行けばいい。
楽しむだけなら體育會はいらない。
他人と切磋琢磨し競い合うことができるからこそ、あえてスポーツを、ボートを選ぶ価値がある。

また、こうも考えられます。

ライバルと挺身差を本気で競いあう。争い合う。いわばスポーツは擬似的な戦争の体験であると。
大学を見回してみると、本気で競い合う要素があるものって意外と少ないことに気づきます。
結局、このライフの前半で話した僕の中での疑問はいとも容易く解決しました。
スポーツは、ボートは、「楽しむ」と「戦争」を両立させて初めてスポーツなんだと。
熾烈な環境で競い合うのはもちろんのこと、それ自体楽しむことではじめて純粋なスポーツになるのだと。

 

それに気づいたら肩の荷が降りたように感じ、ボートの練習を頑張るより前に積極的に楽しむことにしました。
いつの間にか楽しみ方がわからなくなっていたボート。楽しく練習するのが正しいのかどうかも確信を持てなかったのがウソのようでした。

 

ボート選手って「練習はくそ地道で面白くない。」「勝った瞬間が楽しい、全てが報われる。」なんて言いますよね。
まあ間違いないんですけど、ボートをやる価値ってそこじゃない気がします。
むしろ、“スポーツ”としてどれだけ楽しんで練習に取り組めるかが長期的には良い結果に繋がるかもしれません。

やっぱりボートって、
河で鏡のような水面に艇を滑らせている時、
朝焼けに煌めく水面を見ながら漕いでる時、

さいっっこうに楽しいと思うんですよね。

下の画像、どれも練習の風景です!

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河練の時に鯉ちゃんが撮ってくれました。見事な静水、鏡面。個人的お気に入り。

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過酷な正月合宿を乗り切った先に見た荒川の初日の出。

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後輩の新人戦指導の傍ら見た戸田公園の朝焼け。

それまで、楽しめなくなっていた僕はスポーツをやっていなかったなあ、
スポーツする人として失格だったのかなあなんて思っている次第です。

 

「スポーツとは」なんて仰々しいことを語ってしまいましたが、正直こんなのは大半の人にとって当たり前のこと。
Wikipediaを見ればスポーツとは何かがキレイに定義されています。
ですが、やはり自分の中の感覚で府に落ちるところまで解釈を突き詰めて、咀嚼しきって初めて意味が生まれると思うんですよね。
本当の意味で自分の中に落とし込めていなければそれは理解していないのと同じこと。
ボートの練習でも先輩から聞いた漕ぎの技術を自分の言葉で表現できないと理解しきれていないのと同じこと。

 

最後に。もし、もしも今ボート部にいる理由がはっきりしない、ボート部に自分が生半可な気持ちでいていいのか迷っている人がいたら。もちろんほぼ全ての部員が必死に努力しているのでこんなことを言うのはご法度ですが、言わせてください。どんな人でも絶対に何かしらこの部にいるべき理由があります。ボート部に所属し続けること自体に意味があります。ぶっちゃけ内心どんなに勝ちまでの道筋が描けなくても、最低限楽しみ競い合おうとすればそれだけでいいと思っています。そんな人が“もし”いたならば、まずは練習をどうすれば楽しめるか考えてみてください。

それも難しいようであれば、スプラトゥーン何でもいいので自分が自信を持って情熱を注げる趣味を持つと、ボートでも使える「楽しみ方」を学べるかもしれません。

 


 

引退まだ1か月後なのにこの文章はまずかったかな? まあシラネ。
幼稚な文章へのお付き合い、どうもありがとうございました。

 

お次のラストライフは、129期きっての地道な努力家、生粋のシングルスカラー、不遜なる狂気の器、湧き上がり・否定し・痺れ・瞬き・眠りを妨げる、爬行する鉄の王女、絶えず自壊する泥の人形、結合せよ、反発せよ、地に満ち 己の無力を知れ破道の、、「岡山卓生」

 

乞うご期待!