ボート部に入ったときにはきのこみたいな髪型だったので、キノコと呼ばれていましたが、最近髪の毛が伸びて人間的魅力が増していると思われます。野方です。
ラストライフでは、四年間ボートをやっていて気づいたことを書きたいとおもいます。
それは、
「つらいことの後には、かならず幸せがくる」ということです。
例えば
《SFC1限練習からの…》
私がこの四年間で最も耳にするのを恐れた言葉。それは、「SFC1限」。
これは、SFC1限の授業に間に合うように朝練を終わらせなければならない、という意味です。
この一言を消灯前に聞いた翌朝はAM4時15分から練習が始まります。要するにAM3時45分くらいに起きなければいけません。3時45分はもはや朝ではありません。真っ暗です。早起きは三文の徳といいますが、この練習をすると一日中眠すぎて、あまり得をした気分にはなりません。
この早朝ならぬ深夜練習の後に、果たして幸せは待っているのでしょうか。
実は、待ってます。
練習していると、朝日が昇ってきます。
この美しい朝日をコースの特等席からクルーみんなで見られる。幸せです。
(この写真はオリビアが送ってくれました。オリビアありがとう!)
《苦しい河練からの…》
河練。なんだかんだきついのは荒川まで船を持って行く時です。今日もキムミナの絶叫が遠くから聞こえてきます。
船がイワオになったときは地獄でした。ガンネル細すぎ。
そして、川にボートを浮かべると、モーターから秋ヶ瀬までUTという指示を受け、秋ヶ瀬に向かいます。
このUTをやった先に、果たして幸せは待っているのでしょうか。
実は、待っています。
電車の音が徐々に近づいてきます。ラストスパートで水中をあげます。最高に苦しいです。鉄橋を超え、「イージョ」とコールされ、横の土手を見ると…
一面真っ黄色の美しい景色が広がります
ちょうど早慶戦合宿の終盤になると秋ヶ瀬は菜の花で埋め尽くされます。
この景色を見て癒されれば、帰り道もガンガン水中が出せます。
じゃあ、川下に行くときは何もないのか…
いやいや、ありますよ!
赤羽鉄橋のところでは芝桜と桜のコラボレーションが見られます!
つらいパドルの後には必ず幸せが待ってるんですね。
《早慶戦の連敗からの…》
早慶戦で早稲田に勝つ
長年の慶應女子部の先輩方がそのために努力し、それでも実現できずにいること。
今年も実現できませんでした。
今年の早慶戦でのこの瞬間を私は一生後悔するし、一生引きずると思います。
「もっと練習でハイレートをやりこんでいればこんなことにはならなかったのか。」
「バウの私がしっかり漕げていればこんなことにならなかったのに」
「ラストスパートをもっと遅くいれてればよかったのか」
試合が終わった後は、後悔だけがただただ募っていきました。この一瞬で、クルー全員で掴みかけた勝利がこぼれ落ちていきました。毎週土日に来てくれて、深夜までリギングをしてくれたコーチや、応援してくれた先輩方後輩たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
早慶戦で負けた日の夜、ベットで泣きながらそのときの気持ちを忘れないように練習ノートに書きました。そのノートを今年何度も読み返し、その瞬間を思い出して何度も泣きました。何度思い出しても悔しくて悔しくてどうしようもないです。
この早慶戦という舞台で勝つためには、早稲田の2倍も3倍も練習をして、早稲田のだれよりも強く漕いで、心から勝ちたいと思い続けなければいけません。
それはつらくて大変なことですが、クルーみんなでそれができれば、「エグ楽しい」毎日が送れるのでは無いでしょうか。
慶應にとってつらい結果が20年以上続いています。でも必ず幸せは来るはずです。
「つらさ」の後には必ず「幸せ」がやってきます。どんなにつらくても、目指すところが高くてどんなに不安になっても、クルー全員が決して諦めずに同じ方向を向いていれば必ず「勝利」を掴み取れると思います。
来年の早慶戦は、後輩たちが「幸せ」を掴みとってくれると信じてます。
私はもう早慶戦にはでられないので、四年分の思いを全日本でぶつけたいと思います。
応援よろしくお願いいたします!
次は、「真面目さ・優しさ・愛嬌」全てを持ち合わせている、完璧な男、細田くんです。