どうもこんにちは。端艇部128期平部員の奥山です。
今村からラストライフリレーを引き継ぐと思ったら、突然の幹部二名の割り込みに遭い急激なハードルの高まりを感じております。困ったな。悩んでもしょうがないのでいつものように徒然なるままに書いていこうと思います。
さて、志木高端艇部の頃から数えて七年、長かったボート部員としての生活もようやく終わりの時が迫っております。七年間を通して振り返ると、前と比べ本当にいろいろと変化していった艇庫生活だなと感じております。その中でも特に艇庫にいる時間がより濃くなった大学四年間は有形無形問わず変化をより如実に感じた気がします。今回はその中の一部を紹介したいと思います。
まずなにより変わったのは食事です。ラストライフを書くにあたってカメラロールを漁っていたときにまず目に飛び込んできた一枚がこれでした。
もうなんだかわからないかもしれませんがこれはカレーです。汁物ではないです。当時これを四年間食べるのかという絶望感からとった一枚だった気がします。壮絶ですね。それが今では、女子栄養大からのメニュー指導とマネージャー方々の努力の甲斐あって
こうなりました。圧巻ですね。これには副将の直人君もニッコリ。
また、朝食も野菜炒めからおにぎりに変わり、以前より練習前に朝食をとる人が増えました。
体が資本となるアスリートにとって食事は最も大切な部分。毎日の食事がおいしいこと、三食食べることによって練習へのモチベーション、パフォーマンスが変わるというものです。感謝ですね。
二年前には艇庫の改装があり、大部屋、新生コックス部屋、そしてフロンティアルームができました。
大部屋にはロッカールームが新設され、更衣と荷物の保管が楽になりました。多分。
また、私自身改装には関与してはおりませんが、環境大臣として艇庫生活がよりよいものになれるよう微力を尽くしまいりました。今後もより現役部員が住みよい艇庫になっていってくれたらいいなと切に願います。
端艇部という組織も大きな変化がありました。そも、私が大学に入部する前の端艇部のイメージと入った後のイメージは180°違うといっていいほど変わっていました。当時主将だった山本さんの下、雰囲気から何からすべて勝つことに向けより貪欲になっていったように感じました。そんな変化の起こった境目である年に入部できたのは今思えば非常にラッキーだったと思います。
そこからも毎年、勝つために、組織が前に進むために様々な変化がありました。あまりに多いのでここには書ききれないので記しませんが、よりよい方向へ向け変わっていったことだけは確かだと明記しておきます。
様々な変化を紹介しましたが、その中でも変わらなかったものもあります。
例えば練習前の体操。ウォーミングアップの手順はいろいろ変わっていきましたが、これだけは四年間欠かさずやってまいりました。割と伝統的で古くからある体操らしいのですが、運動前の動的ストレッチはパフォーマンス向上に有効であり、先人たちはそのことをわかってやっていたのでしょうか。すごいですね(小並感)。
慶應端艇部128年の長い歴史の中で培われた伝統は多く存在します。一見何の意味もないように感じるものも多くありますが、一つ一つが意味を持っているからこそ淘汰されずに残ったのでしょう。必要なものは大事にしてください。
長々と過去から現在までの変化を書いてきましたが、次は自身が思う端艇部の未来の変化について書きたいと思います。組織が今後前に進んでいくためには様々な変化が必要になると思います。故きを温ねて新しきを知るもよし、あるいはまったく新しい道を突き進むのもよし、後輩たちには勝つために最善を尽くしてほしいです。そのなかでも変化するときに、時流に合った形態を維持すること、これが当たり前かもしれませんが一番大切だと私は考えます。過去の成功、メソッドに固執しすぎず、部員のニーズ、周囲の変化に対応し変化し続けることができれば、きっと今より強い端艇部になれるのではないでしょうか。頑張ってください。
なんだか最後まで雑な文章ですね笑 文才もないの書き溜めもしないでぶっつけでライフを書くとこうなります。後輩諸君、備えよう。
そろそろ書くこともなくなってきたので最後に自分のことを少し書いて終わりにしたいと思います。四年前、高校で出し切れなかった何かを求め大学でもボートを続けることを決めました。やめたくなったこともありましたし、迷走した時期もありましたが、本気で日本一を目指す同期、先輩後輩に恵まれ非常に充実した四年間を過ごすことができました。その集大成として今月末、七年間のすべてを表現できるよう、そして願わくば笑顔で最後を迎えられるよう頑張っていきたいと思います。応援のほどよろしくお願いいたします。
以上!奥山清弘のラストライフでした。長々と書きましたが最後まで読んでいただきありがとうございました!
したっ!
次は同じ経済学部生であり、私の迷走期を共に駆け抜けた片山君です。