こんにちは。慶應義塾體育會端艇部128期三田漕マネの片山です。僕にもこんなかっこいい肩書があるんです。
なんかみんなのライフを見てるととんでもない量を書いてて本気でドン引いてます。あと2週間で引退だと思うと何とも言えない気持ちになりますなあ(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)
今回は、ライフ係のがいしくんに怒られる気がするので、文章書くのへたくそだけど量だけは頑張って書きます。
それでは、僕の4年間振り返ってみます。
僕はみんなと違って春からボート部ではなくて、競走部に入ってました。この前その同期が箱根の予選会に出てて少しうらやましかったのは秘密です。
その後は、いわゆるテニサーと呼ばれるところに入って「ウパウパ」してました。
そんな生活が何となく嫌になって、やっぱ部活やろうと思っていたら、高校の同級生でパリピである笹岡君に勧誘されてボート部に入りました。
最初の練習が米澤さんとおっくんと一緒で、バーピー300回をやらされてその日は大号泣したのだけは覚えています。なんだよこの部活頭おかしいのかな??って1日目で思いましたね。そんな僕も試合に出ればこんなにかっこよく漕いでました。異論は受け付けません。
そんな2年生の10月にマネージャーになりました。選手をやめてマネージャーになるので普通は悔しさで泣いてしまうと思うのですが、僕は意外とそうでもなくて、悔しさがありながらも結構面白い経験ができるんじゃね??くらいに思ってました。
ところが、コースビデオや河練や食事作りは何回やっても面倒くさいし全く楽しくないし、先輩やOBの方に怒られたり迷惑もかけました。三田漕の仕事も、序盤は年会費は例年より集まらないし、総会、決算は準備が大変でオフの日に艇庫に来て仕事もしました。それでも、どうにか形にできたのは社会人のOBの方々や先輩同期後輩マネージャーがいたからこそだと思います。特に社会人の方と多く関わらせて頂いたことは、本当に貴重な経験でした。ありがとうございました。
つまりいい経験ができたってことです。まじめな話も書こうと思えばかけるけど、やっぱりこの辺で。もう端艇部でやり残した事もだいぶ減りました。あとは選手のみんなが全日本で頑張ってるのを見るのと、食事づくりをクビにした浅倉に逆襲するくらいです。
宇津木と一緒に反撃するから覚えとけよ!!!!
まあ0.03mmくらいの内容が書けたのでこの辺で、極厚の内容は公約通り、漢KEIGO君が書いてくれます!
よろぴく~~